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校長メッセージ


 

2015年2月メッセージ「自省する心~安岡正篤 人間学に学ぶ~」

自省する心
  ~「安岡正篤 人間学に学ぶ」~

                                            校長 鍵谷 好徳  
 今回は、作家の神渡良平氏の著書である「安岡正篤 人間学」の中から、東洋哲学者でもある安岡正篤先生の教えから、神渡氏が人としての大切な生き方を述べた一節を紹介します。

「孟子は、自反を説く。自ら反えることは人間哲学の厳粛な根本理法の一つだ。自ら反らざれば、それは自ら背くことになる。国家・個人を問わず問題の原因をひとえに外に帰することは潔くない。いかなるときも人間としての正しい考え方は、自分の内部に第一原因を発見することでなければならない。」

(安岡正篤「照心語録」)

「道を歩いていると石につまづく。面白いのはその反応の仕方で、人により千差万別だ。自己のうかつを反省する者、石に腹を立てる者、果ては石をそこに置いた人間がいるとして恨む者まである。日常の一小事だが、ここで自分を反省するか否かが、その人生を大きく左右する。事の大小を問わず、常に自ら反省する人にして真の人物として成長するものだ。」と人間社会を見つめたとき、ありがちな人間の弱さ、身勝手さ、さらに本来あるべき姿を問い、自ら反る(反省)する大切さを安岡正篤先生が述べていることを神渡氏は、その著書の中で紹介をしています。

 これらの教えを学んだ神渡氏によると、「何か事が起きた場合、他人や環境を批判するのではなくて、自分を反省するという心の姿勢を持っている人は人間として信頼することができる。信頼こそは人望の基である。改善はそこから始まるが、人のせいにする人は愚痴るだけで自分からは何もしない。」と、自身も述べている。安岡正篤、神渡良平 両氏とも社会における物事に対して、人間の本質を捉えており、また、人としてあるべき真の考えを述べています。

 さらに同氏は、「現代社会の病弊の一つには、制度や法律の改革、マニュアルでの事の解決や問題を起きないようにすることは大切であるが、それらは従属的なことである」とも述べており、「主体はあくまで当事者の心構えにある」と主張している。

 だから「人間の教育こそが改革の要であり、それをないがしろにすると「のど元過ぎて熱さ忘れ」制度や法律の目をかいくぐって事を行うようになってしまい、改革は元の木阿弥となってしまう。それを防止するために、さらに事細やかな法律をつくり制度を改革する愚を犯してはならない」とも言っています。

 反省する人は、必ず自らの足らないところを発見し、これを恥じて、何とかしてこれを満たそうと思い、他の意見も聞き、師の教えも受け、本も読もうとします。世の中の争い、憎しみ合いなどの見苦しき事は全て、自己反省することなく、自分が全て正しいとする人々の中に生ずるものです。明治の立役者である西郷隆盛も、このように教えられています。

 「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」

本当に、時代を築き上げてきた人々の教えの中に尊さを感じ一言一言、つきぬ妙味を覚えます。生徒諸君も読書に励み、歴史に学ぶことを一層期待します。そうして学び成長した考えを基に人と人とが直接相対して、生の言葉で語ることが大切です。PC、スマホのメールによる対話は生の言葉に勝ることはありません。

 

2015年1月のメッセージ 「感謝する心」をもって

「 感謝する心 」をもって                
 ~有り難きこの世の縁(えにし) 忘れ得ぬ 人の 情け~

                                                                                     校長  鍵谷 好徳
  私たちは、日々を生きていく中で、感謝する心を忘れてはなりません。感謝する心があってはじめて、物を大切にする気持ちも、人に対する謙虚さも、生きる喜びも生まれてくるのです。
  実際、私たちは、生きていく上で、空気はじめ水、そして太陽の光、暖かさなど自然から限りない豊かな恵みを受けています。                          
 時折その自然から、寒波豪雪、猛暑干ばつ、地震災害など恐ろしく、厳しい仕打ちをを受けることもありますが、それでもそれらの苦しみから立ち直るのもやはり、自然の力やその恵みがが大いに助けてくれています。              また私たちに豊かな恵みをもたらすのは、自然界からだけではありません。人間(界)社会からも、「豊かな恵み」の恩恵は大変大きなものです。           
  祖父母、親や兄弟、先輩上司、同僚そして先生方など自分を取り巻く人々の歴史や生き方など、尊い恵みのおかげで、日々過ごすことができています。
 ところが人々はとかくこのことを忘れがちとなります。「自分ひとりの力で生きている」などと勘違いをして、周囲への感謝やありがたさを忘れる人に出会うと、つくづく寂しさを感じます。                          このような人は、絶えず不平や不満をつのらせ、自らが自らの生き方を味気なく憂鬱なものにしてしまっていることに気づいていないのではないかと思います。
  今あらためて「感謝する心」というと、ありきたりとか、時代遅れの考えなどと言われることもありますが、果たして本当に、時代遅れの不要な考えなのでしょうか。私は決してそうではないと思います。                    生徒の皆さんは、今ここで生きていることが、本当に尊くて、価値あることであり、ある意味では「素晴らしい奇跡」なのだと思いませんか。その価値ある「奇跡」として自らを取り巻く自然や人々、そして歴史と文化など周囲からの恩恵をあらためて実感してほしいのです。
  昨今では、個人の身勝手な考えから起こる事件や事故が本当に多く報道されています。殺傷事件、振り込め詐欺、危険ドラックや飲酒からおこる重大な事故等、あげればきりがありません。何故このような事が懲りもせず、頻繁に起こるのでしょう。                             
   事件事故を引き起こす人達は、自己中心的であり、物事や人々に感謝することを忘れ、人を妬み、嫌い、自らの心の不道徳に気がついていない人が多いとされています。        
  激動と先行き不透明な日本の将来は、生徒の皆さんに委ねられています。自らの境遇について慢心や不平不満に終始することがあってはなりません。常に内省に努め、歴史を学び先哲の心にふれる事を尊び、何事にも、心の正しいあり方を根本に立てて進む生き方が大切なこととなります。そうすれば必ず豊かな生き方を見いだせるのではないでしょうか。進化するパソコン、スマホ社会だからこそ、次の言葉が大切なのです。                               
 「有り難きこの世の縁(えにし)忘れ得ぬ人の情け」                                                    
 

2014年12月のメッセージ 日本のまほろばを求めて


平成26年北海道枝幸高等学校

 「日本のまほろばを求めて」

  ~大和地方(奈良)・平安の都(京都)から、
                                                           坂東地方(東京)まで巡った45日の旅~
                                                校長 鍵谷 好徳

 現在、奈良県の大和地方は、神話のレベルですが神武天皇の都として、日本発祥の地として考えられています。また「日本」という国号が定められる前、「ヤマト」が国全体を表す言葉として使われておりました。(現在の「日本」という国の呼び名は、七百一年大宝律令が完成して大和朝廷を中心とした国家ができ、このときに「日本」という国の呼び名が法的に確定されました。)

 第十二代景行天皇紀には、「大和は国のまほろば」とあります。(「まほろば」とは優れた、良いところ、良い国を意味する古語)「ヤマト」に「大和」の字をあてたのは、国の理想が「和」であり、このことに大いに優れているという意味の「大」をつけ、「大和」と名付けたと言われています。「和」とは聖徳太子の十七条憲法の「和をもって貴しとなす」と定められていたように、「和」は日本精神の基本であり、穏やかを意味し、調和、平和、穏和などと表現され、さらに、日常私たちは、和室、和食、和服など「和」を日本を示す代名詞として、今は自然に使っています。

 

 さて、今回の見学旅行では、東大寺などの大和地方、そして中国の都長安を模した京都、やがて武士政権の中心地、江戸すなわち東京の歴史や文化、そしてそこに住む人々から何を学び、何を感じるかなども目的の一つです。本居宣長は「大和心はなにか」と問われ、「敷島の大和心を人問えば、朝日ににおう山桜花」と答え、平和で静かであり、雅やかな民族性を詠いあげております。生徒諸君は、「大和の心」を感じることができましたか。また坂東武者が活躍した関東地方で何を感じましたか。

 

 さらに、大和地方と京の都における隠された歴史の悲しみや苦しみを学ぶことも大切でした。昔、奈良の都ではお坊さんはエリート階級で華やかな文化の中に豊かな暮らしをしていたと思われがちですが、その実、大多数のお坊さんは、法衣がたった一枚しかなくそれが盗まれ、盗難休暇を出したり、洗濯休暇を願いでたりしておりました。東大寺でも写字生などは給料があまりにも低く、衣をもう一枚ほしいとか食物を要求している古文書の原案が正倉院に残っているようです。貧しく貧富の格差が激しい社会であったようです。私たちは一見平穏で華やかな天平文化を支えた社会の底辺には、風紀も乱れ、現在よりも貧困にうめく多数の民衆の悲しみや苦しみも学び取る必要があります。

 加えて、青丹よしの美しい都である平城京や、伝統を誇る平安の都には悲しい歴史があります。日本語には死者を「葬」(ホオムル)と言う字は「放る」(ホオル)から出る言葉ですが、平安末期では都の路傍に多くの死体が放棄され、ところによっては、江戸時代まで続いた歴史をもちます。明治政府が遺体の地上放棄を禁じたため、さすがになくなりましたが、それらのことが、「飢餓草紙」にリアルに描かれています。奈良の春日山の東裏の谷間、京都の清水寺の舞台から見下ろす音無川の谷間なども、今は若者に人気のある散策の道ですが、昔は死者を捨てにいく悲しみの道でした。歴史への「旅」とは本来そのような古人の生き様とあわせて死に様をも、私たちに伝えてく手引き書であります。歴史の表裏を知ることは、物事を正しく理解するためには大切です。私自身、幾度も奈良、京の都を訪れておりますが、毎回違う発見や感動とともに、今年も古人の悲しみや苦労を感じ取ることができました。

 
    毎年同じことを書きますが、高校という人間形成の上で重要な時期に、自らの国の風土や古人の築いた歴史の恩恵を感じると同時に、その「苦労を理解し無駄にしない心」と様々な人々や物事への「感謝の心」を育てることが、旅の魅力であり、旅行とはそのようなところに多くの価値があるのかもしれません。旅行中の楽しそうな笑顔とともに、時には真剣な表情で見学している生徒諸君のような高校生の姿を古人が見たらきっと喜んだと思います。本当に楽しく意義のある旅となると共に、生徒諸君の中にしっかりと、「国のまほろば」を強く感じました。

 

2014年11月のメッセージ

「歴史と人物に学ぶほど、生きた学問はない」
                 
~ 自らの使命を果し ~             

校長 鍵谷 好徳

ご両親や多くの人々の愛情を受けて、人がこの世に生れてきた意味は何でしょうか。そのことについて、「人々のために、使命を全うする」という一つの答えがあります。さてその使命とは何でしょうか。これは人に教わるのではなく自分自身で真剣に努力して見いだすものと考えます。決して、人に教えを請うだけでは得ることができません。自らも、多くの文献にふれあい研鑽を重ねることで、様々な古人の生き様に出会い、学びながら考えを巡らし実践へとつなげていく者と考えます。この繰り返しの中で、自らの使命になるものが見えてくるのではないでしょうか。

さて、江戸時代に多くの方々が知っており、米国の故ケネディ大統領が最も尊敬した日本の人物、政治家として「上杉鷹山」と言う人物がおりました。彼は苦しくて米沢第9代藩主の座につくのですが、そのころの藩の財政は極度に悪化しており、回復が困難と言われる状況にありました。若き鷹山は誰もが尻込みをする中、柔軟な思考力、果断な実行力を持って、藩の立て直しに邁進することになります。

しかし、この大事業には幾多の困難がありました。一つには、旧来の考えに固執する家臣をはじめ様々な人々による、前例踏襲主義からの抵抗、一つには新たな試みをうまく活用するための自らの力量を高めることへの消極的傾向など、幾多の苦難が鷹山を苦しめました。それでも、鷹山は、心折れず三十余年の歳月をかけて大きな成果を上げることになります。まさに鷹山が自らの使命を理解して、信念を持って藩の改革に取り組んだ実例であります、鷹山の信条歌にその心が詠われております。

「なせばなる なさねばならぬ 何事も 
               ならぬは人の なさぬなりけり」

 この歌は多くの企業はじめ様々な分野のリーダー達が手本としているところです。学校教育の中にも、鷹山の信条歌に通じるところが多いと感じます。時代はかつてないほど進み、学校教育の中にも「未来に向けた新しい価値観の創造」が強く求められるなど、以前にまして「教育の質」が問われ、さまざまな教育活動への本物志向が強まっています。ですからそれぞれの学校の特色を出そうと努力しているところです。

 ところが現在の日本の若者は内向き志向が強くなり、新しいことや新たな世界への挑戦には消極的になってきています。多くの若者が留学や海外勤務の希望が減少していることもその一例でしょう。これは日本に追いつき追い越せとばかり急成長しているアジアの若者をはじめグローバル化や情報化が進む国際社会との動向とは異なり、我が国の喫緊の課題と考えます。歴史を振り返ると明治の若者はどう 

あったか、高度成長期の日本はどうあったか、常に若者は新しいことに挑戦を続けてきたのではないでしょうか。

 新時代を生きる若者に対して、日本人としての「不易」を大切に守る人間性と「流行」としての社会変化に対応できる能力など、バランスのとれた資質能力の育成が求められ、人間は如何にして生きていくかを念頭に、21世紀型能力といわれる「思考力」を中核として、それを支える「基礎力」、使い方を方向付ける「実践力」を培うなど「知の世紀」と言われる現代をしっかり生き抜く学力の向上とともに、日本人としてのアイデンティティを確立させ、また社会に貢献できる豊かな共感力を高めた人間性や人に恥じない信義ある生きかたを学ばさせなければなりません。

 最後に、
  
「楽すれば、楽が邪魔して楽ならず。楽せぬ楽が、はるか楽々」

 教育と学問もまたこの通りです。本校の資質高き生徒諸君のために、保護者の皆様と共に、社会に有為な若者に成長させるべく努力を続けたいと思います。今後とも力強いご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

2014年9月のメッセージ


「親思う心にまさる親ごころ けふ(きょう)の訪れなんときくらん」~人間力を高める学び~

最近、親子や兄弟など家族の間でも、様々な人間関係の問題がよく聞かれます。悲しい事件、事故の報道も多く耳にします。人間の資質、能力、いわゆる人間力が衰えているかもしれません。何故かくも寂しい世の中になっているのでしょう。

 哲学者の森 信三は人間を井戸水にたとえています。井戸水はどこか深いところで地下水に通じていて、水がなくなったと思ってもしばらくすると湧き出で、もと通りになっている。それと同じように際限があるようで際限がないのが人間力と言うことです。

 では人間力を出し切るにはどうしたらよいのか。それはなんと言っても、よく学ぶ事です。偉人の伝記をよく読むことです。歴史と人物に学ぶほど生きた学問はありません。さらに読書と共に、親の生き方によく学ぶ事が大切です。親の生き方に学ぶ事も歴史を学ぶことに他なりません。

「親思う心にまさる親ごころ けふ(きょう)の訪れなんときくらん」 この和歌は、幕末の偉人 吉田松陰 のものです。親こそが子を産み、子を育て、子を教え、自分を忘れて、ただ、子の幸せを祈り、子が人として大成できるようにと考え、行動すると言われており、上記の和歌は「子どもが親を思う心以上に、親が子を思う心が深い」と言う意味です。昔、堀田喜一という人物がおりますが、彼は大変来客を好み、神宮、儒者、僧侶、詩人など多くの人々が家に出入りしていたそうです。そうした来客時には、必ず息子にお茶を持ってこさせ、給仕役として側に待機させ、一緒に客の言うこと、話すことを聞かせたと言います。それは息子に優れた客人の感化を受けさせたいという親の心からであったと言われます。息子が小学校に上がるようになると、近くの神社の神主に四書五経などをはじめ古典や歴史を学ばせました。息子にとっては、小学校、中学校の教師のほかに、古典漢文、歴史を教えてくれた教師がいたということになります。その息子はやがて素晴らしい人格者に成長していきます。このように、我々は親から様々な愛情を受け教えを受け、学ぶ機会をいただいております。以前、私は皆さんに、教育の基本は「愛」とともに仰ぎ見る「敬」が重要であると述べましたが、これからの家族は今まで以上に、母の大きな「愛」を感じ、父の厳なる意味を理解し、「敬」う心を持って成長することが若者のありかたではないかと思います。また父母からの教えのみを言うのではなく兄弟、祖父母からも大きな教えをいただいております。そのようにして成長した若者が築く家庭には、素晴らしい家族関係が実現していくと思うのです。どうか将来、多くの人を幸せにするために様々な学びを大切にしてください。そして人間力を高めるのです。

参考 「安岡正篤 人間学」 神渡良平


 

2014年6月のメッセージ


2014年6月のメッセージ 
 

「花は芽にあり」~学校(学び)の大切さとは~

 

若者が長上を敬うなどの礼儀及び規範意識などの社会性や何事にも前向きな積極性を養うとともに、将来に向けての目標意識を高め、自己確立を図るには、日常からの「学び」が重要です。

1 自己効力感の不足

 今、若者の多くが自らに対し自信が持てず、「夢」や「目標」をしっかりと語ることができないということが聞こえてくるようになりました。若者の中に心理学でいう「自己効力感の不足」が拡大してきたと言えます。でも若者は夢や目標がないのでしょうか。夢や目標が「必ずかなう」となれば、「こうしたい」「このようになりたい」等、若者は様々に夢や目標を語り出すのではないでしょうか。故に今、夢や目標を語ることができない理由とは何か、それはこれまでの自らの行動への達成感や周囲にポジティブな影響を与えたという実感がなかったために、夢そのものへの無力感やネガティブ思考が広がり、それが目標意識の欠如とつながってきたからだと考えられます。

2 自らに付加価値を付け、「苦」と向き合う

 新たな社会づくりを担う若者には、「時間」という資本財をたくさん使い、「学校」という知識の源泉から、歴史上の人物の生き様や出来事をはじめとした多くの事を学び、自らの夢や目標の実現に向けて、一人ひとりが付加価値を付けることが強く求められています。その過程では様々な困難も経験します。価値観が異なる人々の集合体では「トラブル」がおこります。トラブルは「苦」であり、できれば「苦」を避けて、「楽」でありたいと思うのは必然です。人は周囲から肯定(理解)されるとうれしく、生き甲斐を感じますが、否定されると後ろ向きで無目的な生き方に陥ります。それでも多くの「苦」に堂々と向き合いそれを乗り越えて自らを高め、他の尊さを認める能力を「学校」(学び)から培うことが大切です。

3 無知の知と学習は楽習

 私も同様でしたが、学問に真剣に向き合うと、自らの知識が如何に浅く、何も知らないことに驚きます。学びに真剣に向き合わないと、将来、子供を含め周囲の人に何も伝えることができません。「果たしてこれで良いのか」と悩むことになります。一方、自分が今まで知らなかったことが理解できたり、知ることは、とても楽しいことだと認識することができます。本来、学習とは楽習となるための場が学校なのです。将来の目標の確立や学習の楽しさを知るためにも、若き時からの学校(学び)の大切さを理解し、自らに見事な大輪の花が咲くよう努力してください。

次に、歴史と人物に学ぶ一人目として、幕末の俊英で自らの信ずるところを堂々と生きた「橋本佐内」と著書「啓発録」の趣意の要約を紹介します。 (今年度全国高校PTA連合会大会ホームページより)

                    
 
               

 

2014年5月のメッセージ『新入生へのメッセージ』

「ひたぶるに道学ばんと集いし、若き子らに 北冥のこころ、大きく育てと思いあらたに」 

 確かな学力や豊かな人間性、強靭な心と体を育成する枝幸高校の卒業生は、すでに6000名を超え、今や道北における確固たる伝統校の地位を不動のものとして、今なお発展への努力を続けており、新入生には今後大きな期待が寄せられることになります。グローバル化が進む国際社会は勿論、国内では、若き世代の人口減少をはじめ医療や福祉面など解決すべき課題が山積みです。このため、新たな時代を切り開き、新たな価値を創造していくためには、若き世代が柔軟な発想のもと、熱き心と豊かな教養をもつ人間としての成長が大きく求められます。そのため、高校時代になすべきこととして、3つのことを述べたいと思います。(以下は入学式辞からの一部抜粋を含む)

 

2014年4月のメッセージ『武道の精神とは」~真を尽くす~


2014年4月のメッセージ 『武道の精神とは」~真を尽くす~


今ネット上やいろいろな場面で、人のことを悪く言いふらす風潮があります。誠に情けない。私達が子供の頃、「最も恥ずかしい生き方は卑怯に生きることであり、そのようなことはないようにと教えられました。則ち蔭で人のことを馬鹿にしたり悪口を言わないということが大切。」と教えられました。

 校長先生は子供の頃から、武道の教えの中に生きてきました。だから「正義」の生き方ができない人間を好きになれません。それは、ずるく、堂々と生きることができない人のことを言います。

 「堂々と生きる」こととは、男らしくとか腕力のある人とかの生き方ではありません。どのようなか弱き女性でも、力のない男性でも、おとなしい人でも、「人のことをとやかく言わない」で自らの道を精一杯正しく生きるということです。

 

校長入学メッセージ


 

2014年3月のメッセージ『少くして学べば、即ち壮にして為すこと有り』

2014年3月のメッセージ 祝卒業『少く(わかく)して学べば、即ち壮にして為すこと有り』

先人の遺訓は、今をいかに生きるべきかを示し、勇気を与えてくれる。未来に向かい新たな歩みを始める卒業生諸君に、二つの言葉を贈ります。

 最初は、明治維新の立役者で古今稀に見る傑物であった「西郷隆盛」の「南州遺訓」からの言葉ですが、「道を行う者は、天下挙ってそしるも足らざるとせず、天下挙って誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きがことなり」

 器量が小さな人は、少々おだてられ誉められれば、つまらぬ事でも大切な事と言って行う。悪口を言われれば、本当に大切なことにも目をそむけやめてしまう。これらの事は、自らの行動に信念をもたず、常に他人の言葉や目を気にしすぎる人が当てはまる。このような人は心中名利を優先し、物事の本質や重大性に目をそむけ、自らがどのような人生を生きていくかを理解していない人物です。ゆえに自らが正しいと信じた道ならば堂々と生きるべきだという意味です。

 

2014年2月のメッセージ 『二宮尊徳と大友亀太郎(先哲への理解)』

2014年2月のメッセージ 『二宮尊徳と大友亀太郎(先哲への理解)』

 二宮尊徳の報徳仕法(農業経営の中心に道徳をおく実践)というもの、またその影響は日本全国に及んでいたがその事実は、今の若者はほとんど知らないのではないかと思うし、またこのことがとても寂しいことであると感じている。歴史を愛する教員として、先哲の思想に基づく伝統文化や偉人達の業績をこれからの北海道そして日本を背負う子ども達に正しく伝えることが教育の大切さと考え、今回は、生徒諸君に「二宮尊徳」について学んでほしいと思います。
  さて、先述の通り、この素晴らしい北の大地、北海道における二宮尊徳の影響をどれだけの道内の人々が知っているでしょうか。知らない人も多いのではないでしょうか。
 

20141月のメッセージ 『北溟の地で不易なる品格を磨く』

2014年1月のメッセージ 『北溟』の地で不易なる品格を磨く

 生徒会誌「北瞑」と言うタイトルの由来を調べてみると、「北瞑」という言葉は、「北の大海」の意味を持ち、さらに北瞑の「瞑」は「暗い」という意味でもある。「暗い北の大海」ということになれば、枝幸の沖合に広がる「オホーツクの荘厳な海」を指していることになる。まさにこのことをイメージして、「北瞑」が名付けられたのではないだろうか。また、「北瞑」は「荘子・逍遥遊篇第一」にある開巻劈頭「鵬鯤」の物語で出てくる「北瞑に魚あり、その名を鯤(コン)と為す。鯤の大いさその幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、その名を鵬(ホウ)と為す。鵬の背(そびら)、その幾千里なるかを知らず。怒して飛べば其の翼は垂点の雲の若(ごとし。」で始まる話である。その意味を紐解くと、「この世界の北の果て、波も暗い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさはいったい何千里あるのか見当もつかないほどのとてつもない大きさだ。この巨大な鯤が時節が到来し転身の時を迎えると、姿を変えて鳥と為る。その名を鵬という。その背の広さは幾千里あるのか見当もつかない。その翼の多きこと、まるで青空を掩う雲のようだ。」と続いていく。これはまさに、「鯤のように大きな可能性と資質を持つ諸君が枝幸高校で、その能力を磨き、蓄え、さらに鵬のごとく、スケールの大きな若者として、たくましく巣立っていってほしい」との歴代の校長や教師集団の思いであり、今の私の心からの願いにほかならない。
 

2013年12月のメッセージ 『大和は国のまほろば』

2013年12月のメッセージ 『大和は国のまほろば』

 古代より日本人は、我が国のことを「ヤマト」と呼び、周囲に誇っておりました。現在奈良県の大和地方は、神話のレベルですが神武天皇の都として、日本発祥の地として考えられています。第十二代景行天皇紀には、「ヤマトはまほろば」とあります。(「まほろば」とは優れた、良いところ、良い国を意味する古語)この「ヤマト」に「大和」の字をあてたのは、国の理想が「和」であり、このことに大いに優れているという意味の「大」をつけ、「大和」と名付けたと言われています。「和」とは聖徳太子の十七条憲法の「和をもって貴しとなす」と定められていたように、「和」は日本精神の基本であり、穏やかを意味し、調和、平和、穏和などと表現され、さらに、日常私たちは、和室、和食、和服など「和」を日本を示す代名詞として、自然に使っています。見学旅行では、東大寺などの大和地方、そして京の都の歴史や文化、そしてそこに住む人々から何を学び、何を感じるかなども目的の一つです。本居宣長は「大和心はなにか」と問われ、「敷島の大和心を人問えば、朝日ににおう山桜花」と答え、平和で静かであり、雅やかな民族性を詠いあげております。生徒諸君は、「大和の心」を感じることができましたか。

 

2013年11月のメッセージ 『若者の夢を応援した生涯』

2013年11月のメッセージ 『若者の夢を応援した生涯 ~新島 襄に学ぶ~』

 今回は、教育者として大きな志を持ちその夢のために生きた「新島 襄」という方の生き様について述べたいと思います。彼の生涯は、我々教育に関わる人間として学ぶべきことがたくさんあります。今ちょうどNHK大河ドラマ「八重の桜」が放送されています。
 江戸末期、戊辰戦争で幕府方の会津藩と薩摩・長州を中心とする新政府軍が激しい戦いを繰り広げた戦いでは、有名な会津の十六~十七歳の男子で編成の白虎隊や長刀の使い手であった中野竹子らの娘子軍(じょうしぐん)の悲話など、数々の話があります。その中で会津軍には女子でありながら鉄砲隊を指揮して新政府軍を悩ました山本八重(後の新島八重)がおりました。大河ドラマでは、その女傑の生涯を描いております。
 

2013年10月のメッセージ 『明師良友を持つ』

2013年10月のメッセージ 『明師良友を持つ』

 人は、真剣に自分を眺め、自分の生き方を思うとき、「このままでは、いけない」と現在の生活の様を考え、現状に不満を感じ、深く内省(反省)をし、何か力強い物を得ようと考えるのではないでしょうか。このような考えや望みを「目標」あるいは「志」などと呼び、また、「信念を持つ」などとも言われています。このような心が働くとき、必要となるのは、この心とともに語り、ともに進む「友」であり、このために導いてくれる「人」・「先生」すなわち「師」であると考えます。友を求め、師を求めてやまぬ望みは、人間としてとても大切であり、崇高な望みでもあります。この望みに燃えている人は、金や名誉や権勢や地位を与えても満足することはありませんが、師や良友を持つことで、幸福を感じるものです。しかし、ともに語るべき友(良友)もなく、導いてくれる先生「師(明師)」もなき人は哀れと言うべきです。さらに、友もいらず、師もいらず、その日その日をさしたる目標もなく、安価な楽しみを求めるだけの暮らしを送る人は、もっとも哀れではないでしょうか。明師良友は、自分の内面に隠れている自分の美しさ、尊さ、偉大さを引き出してくれるものです。親兄弟が我々の心や身体を養い育ててくれたように、明師良友は「志」すなわち、「目標」を形成するための親兄弟ともいえます。枝幸高校の生徒諸君は、たった1人だけでも良いから真の友を持ち(勿論、他も多い方がよいが)、明師(良き先生)を見つける努力を行いたいものです。今まさに我が校は「夢をつかめ」をスローガンに、そのような素敵な学校になりつつあるのではないでしょうか。
 

2013年9月のメッセージ 『学校は、大きな家庭』

2013年9月のメッセージ 『学校は、大きな家庭』

 教育の原点は、「家庭における親子の愛情にある」と考えています。子どもは常に、親から学んでいるものです。親のありのままの姿が、生涯にわたって影響力を持ち続けます。すなわち「子どもは親の反映である」。そうであるならば、学校教育は「親の教え」にかなうはずもないのです。いくら頑張っても、親の子どもへの愛情、子どもが親を思う心、すなわち親子愛には、いかなるものも上まわることはできないのです。しかしながら我々、教師は、学校は、それでも努力をしなければなりません。「子どもは親の鏡」、子どもは親の姿から多くのことを学んでいきます、そうであるならば、「生徒は教師の鏡」、生徒は教師の姿から多くのことを学ぶようにしていかなければなりません。我々は教師という職業を志したときに、間違いなく、このように考えたのではないでしょうか。単なる職業だからとか、見せかけのポーズでは、すぐに生徒に見透かされてしまうはずです。心の底から、「すべては生徒のため」と思い、愛情を注がなくてはならないのです。
 私は一人の親として、大人として、教師として日々悩む中で、出会った詩があります。アメリカの教育家、ドロシー・ロー・ノルテ博士のすてきな詩です。(直訳ではない)