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2015年3月の祝卒業メッセージ

祝卒業「和のこころ」と「情(なさけ)」の発揚
                             
校長 鍵谷 好徳

 今日社会は高度化とともに、急速な変化が進み、利便化の一方でモラルやルールなき社会とまで揶揄される時代を迎えています。国際社会では数々のテロ事件、国内でも思いやりと優しさを忘れ、幼児虐待やいじめ、親子での殺傷事件など考えられない自己中心的な事件が続発しています。次の時代を担う若者達には、このような悲しむべき状況を改善して、心豊かな安心のできる社会を形成していくことが強く求められています。本来我が国は、「和」の心をもつ穏やかさを基本精神としており、日本語の中に調和、平和、穏和、和室、和食、和服等々「和」という言葉を、日本を示す代名詞として使われてきていることは以前にも紹介しました。これからの若者には「和」の心を基本に「情(なさけ)」の発揚が特に必要なのではないでしょうか。自己中心的で享楽主義の者は、この心を持つことはとても難しいと思います。「情(なさけ)」とは言を飾り、姿優しくうなずいて語る上手者を示すのではなく、内面からにじみ出てくる心優しき思いやりの姿、心根の事です。その「情け(なさけ)」を育てる時、我々大人自身も「どれだけ人に優しく、良い影響を与えているか、その上で若者を成長させているか」と自らに問い、反省する必要を感じます。若者の成長ぶりについては、その若者の親に真剣に問い尋ねてみることが大切です。親の「我が子が可愛い」気持ちとは別に、心から我が子に「感心」できるのであれば、まずその若者は「敬」すべきです。様々な角度から観察して、よほど優秀な若者だと思っても、その親からの信用が薄い場合は、第一級の人物とは言い切れないと思うのです。真の若者は、必ず親に対して深い「情(なさけ)」即ち孝心を持つものです。孝心なき者は如何に優秀であっても、周囲の人々は、その若者の言に耳をかす者はおりません。常に親を思う心あれば、自然に言動や行いにあらわれ、親ばかりか周囲の人々の共感を受けます。自分より弱い者、貧しい者に対して、これを蔑むような者、自己の利益ばかり図る者、美しい気分を壊して物事を成立せぬように批判ばかりしている者等々、「情(なさけ)」の苗床が荒れているところに「幸せの実」は育ちません。憎まず、侮らない心と優しく美しい心をもつ人には、「情(なさけ)」の苗が伸び上がります。親は勿論、どのような人にもいたわる気持ちを持ち、老い衰えたる人には「金銭的な幸せまでを与えられなくとも、せめて心だけでも楽しく幸せな気持ちにしてあげたい」このような若者が増えたら、なんと素敵なことでしょうか。これからの我が国で人々が安心して暮らせる社会に向けて、「情(なさけ)」の心を育てている、心根の優しき本校生のような諸君に、夢のある未来を託したい。

「苦と楽と花咲く木々をよく見れば 心の植えし実の生えしなり」

「父母もその父母も我が身なり、我を愛せよ我を敬せよ」

                                    (宮西一積著「大地の歌」より)